
一国諫暁
第一次 一国諫暁
日本国民に告ぐ!
日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ
1997年7月16日
冨士大石寺顕正会々長浅井先生 著
冨士大石寺顕正会々長浅井先生 著
第二次 一国諫暁
再び日本国民に告ぐ
日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ
2004年4月28日
日本はいま、亡国の前夜を迎えている!
その原因は
一には 日本一同が未だに日蓮大聖人に背き続けていること
日本に残された時間は少ない
日蓮大聖人とはいかなる御方か
人生の目的を知らずに生きているのは、行方不明のバスに乗っているのと同じである。人生の目的は実に成仏を得るにある。
成仏とは、生死を乗り越えて永遠に崩れぬ、無上の幸福境界をいう。
日蓮大聖人の仏法を実践すれば、いかなる人も宿命が変わり、現世には幸いを招き、臨終には成仏の相を現じ、死後の生命も大安楽を得る。これが成仏の境界である。
死後の未来のことなどわからぬ、という人もあろう。しかし仏法は空理・空論ではない。すべて証拠を以て論ずる。
その証拠とは臨終の相である。
臨終は一生の総決算であると同時に、臨終の相に、その人が死後の未来に受けるべき果報が現われる。だから臨終は人生の最大事なのである。
ゆえに日蓮大聖人は
「されば先づ臨終の事を習うて後に他事を習うべし」と仰せられている。
では、地獄に堕ちる相、あるいは成仏の相とはどのようなものかといえば
大聖人は
「人は臨終の時、地獄に堕つる者は黒色となる上、其の身重き事千引の石の如し。善人は設い七尺八尺の女人なれども、色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる、又軽き事鵞毛の如し、輭なる事兜羅綿の如し」と。
すなわち、地獄に堕ちる者は、死してのち遺体が黒くなるうえ、硬く、重くなり、恐ろしい形相となる。
一方、成仏する者は、臨終ののち色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ何とも柔和な相となるのである。
臨終の相だけは人の意思の及ぶところではない。この因果の法則を説き切るのは、日蓮大聖人の仏法以外にはない。
地位や財産による幸福はすぐ崩れる。現当二世(現世と来世)にわたり永遠に崩れぬ幸福は、成仏の境界以外にはない。
立正安国論の予言的中
国家の興亡盛衰の根本原因は仏法の正邪による。もし国中が邪法を信じて正法に背けば国に天変地夭・内乱・他国侵逼等の災難が起こり、正しい仏法を立てれば国は安泰になる。これ仏法と国土を守護する諸天善神の力用による。
「国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁れん」と警告された。
しかし日本は四方を海で囲まれている。当時、この他国侵逼の御予言を信ずる者は誰もいなかった。
だが十四年後、御予言は事実となった。世界を席捲した大蒙古が、日本を亡ぼすに足る圧倒的な兵力を以て二度も襲来したのである。
日蓮大聖人の御予言は、海外情勢などによる推測などではない。実に仏法を守護する諸天善神に申し付ける絶大威徳を以ての御断定であれば、違うことがないのである。
ゆえに大聖人は
「現世に云いおく言の違わざらんを以て、後生の疑いをなすべからず」
また
「あへて憎みては申さず、大慈大悲の力、無間地獄の大苦を今生に消さしめんとなり」と仰せられている。
また、この予言的中を見れば、もし日本国一同が日蓮大聖人を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉り、御遺命のままに国立戒壇を建立すれば、日本は仏国となって真に安泰になること、断じて疑いない。これが「立正安国」の実現である。
国家権力も御頸 切れず
文永八年九月十二日の深夜、大聖人は竜の口の刑場の「頸の座」に坐し給うた。そして大刀まさに振り降ろされんとしたその刹那、「月のごとく光たる物」が突如出現し、太刀取は目がくらんでその場に倒れ伏し、数百人の兵士たちも一斉に逃げ出し、みなことごとく砂浜にひれ伏してしまった。
ひとり頸の座にまします大聖人は高声に
「頸切るべくわ急ぎ切るべし。夜、明けなば見苦しかりなん」と死刑執行を催促された。しかし近よる者とてない。
まさに国家権力が、ただ一人の大聖人の御頸を切れず、かえってその絶大威徳の前にひれ伏してしまったのである。このような不可思議・荘厳な光景は、地球上に未だ曽てない。
残された時間は少ない
この国に大慈大悲・絶大威徳の御本仏ましますを無視し、背き続けたゆえに、いま日本は亡国を招かんとしているのである。
残された時間は少ない。
冨士大石寺顕正会々長浅井先生 著